7.なぜグリーンランドなの?

このプロジェクトがグリーンランド行きになった一番の理由は、子どもたちの意志です。

年度当初、高学年の会員を集めて希望を聞いたところ「遊園地に行きたい」という声でほぼ満場一致だったのです。児童福祉施設の子どもたちは普段、家族として生活をともにしているのに、そのみんなで一緒に遊園地に行く機会が無いというのです。


もちろん、長らく子ども会とはこんなものだ、と思っている子どもたち自身の口からいきなり「遊園地に行きたい!」という声が出たわけではありません。ただ、私なりに私が体験した範囲では、この子ども会を魅力あるものにする手段でいくつか思いつくものがありました。


そもそもイベント自体が無くなっていた数年前からすると、昨年のボウリング大会は大盛況に終わっています。ですから最初に挙がったのは「ボウリングに行きたい!」でした。ただ、私の中にあった個人的な感情があり、他の選択肢を提示してみたくなったのです。その個人的な感情とは。なぜ他の地区なら簡単にかなうことなのに、この地区ではそれがかなわないの?子どもたちは平等に、同じように楽しみを享受する権利があるのではないか。そういった「当たり前の体験を味わってほしい」という気持ちです。


なぜ遊園地なの?遊園地でなくても交流は深められるのでは?それは何人かの人から聞かれたことです。深い議論は別にして、私にとっては、その質問自体が単純に不思議でした。私の幼いころ、子ども会で遊園地に行くのは当たり前のイベントだったからです。そして、自分の記憶の中では最も楽しみなイベントでした。親類やクラス全員で行く旅行とはまた違った特別な楽しみがありました。ふだん登校班で一緒に行く異年齢の友達の、お父さんやお母さんの顔を見るのも楽しみの一つで、それ自体が地域の防犯に一役買っていたことでしょう。地域の大人が同じ地区の小学生の顔と名前を覚えるのはとても大切だと感じます。ただそれだけの気持ちが、今回のプロジェクトを思い立った動機なのかもしれません。


こういった話に及ぶと、そもそも遊園地に遊びに行くことは子どもの成長にとって是なのか非なのかというテーマに発展します。その議論自体はとても大切なことで、そういった話を大いに出来る人脈が私の身の回りにたくさんあるということを知ったことも今回得た財産の一つです。


ただ、私自身は子ども時代、友達と大勢で遊園地に行くことがとても楽しみだった、その楽しさを、自分の子どもにも、地域の子どもたちにも同じように味わってほしい、スタートはその単純な気持ちから始まっていることだけは、ここに記しておきたいと思っています。


その願いは、他の子ども会ならもう少し容易にかなうのです。保護者全員の了承が取れれば済むことだからです。しかしいま私が会長として運営している会は違います。金銭面だけなら何とかなったのかもしれません、しかし数十名単位の引率者という高いハードルが存在します。


色んな方から言われました。「ウチも遊園地はいかないよ/行かなかったよ」。これは意外と多い反応でした。そうだよね、遊園地なんて大変だよね、と諦めることは簡単だな、と思いました。ただその言葉は「よそはよそ、ウチはウチ」が信条の子育て方針の私にとって「みんなそこまでのことはしないのだから」という同調圧力に感じられて、簡単に納得できることではありませんでした。何より遊園地に行っていけない理由など何もないと私は考えます。


それでも、周囲のアドバイスに耳を傾けるのは大切なことです。ですから、自分自身に問い続けました。私はなぜこのプロジェクトを行いたいのだろう。なぜこの現状に問題意識を持って立ち上がろうとしているのだろう。考えて考え抜いた結果、子どもの主体性を重んじようと思いました。簡単に言えば、子どもに聞いてみるのです。遊園地に行きたいか、行きたくないか。他にやりたいことがあるかないか。


年度当初の高学年の子どもたちに聞いた時の反応は、それまでに見たことのない生き生きとしたものでした。「行きたい!絶対行きたい!絶対グリーンランド(遊園地)!」


そ、そうなの?と私自身が驚くほどでした。考えてみれば小学生時代の私がもっとも楽しみにしていたくらいなのですから、何も驚くことではないのです。それでも、私の予想を上回る新鮮な反応に、私は驚きを隠せませんでした。


その言葉に勇気づけられて、最初の「お見知り会」で、そのことを会員の子どもたち全員に提案してみました。同じく、その場にいた子どもたちほぼ全員が「行きたい!以下同文!」となりました。


「みんなで行くためにはみんなはどうすればいいかな?」と聞いてみました。私が導きたかった答えは「みんなで安全に仲良く過ごすこと」でした。引率が足りない問題は、これさえできれば解消するのです。子どもを広い園内で迷子にしたり危険な目に遭わせるわけにはいきません。子どもに最初からその答えを期待するのは難しいと分かっていながら、子どもたち自身に理解を深めてもらうために、敢えてその質問を投げかけました。


しかし、かえってきた予想外の答えに、私は心の中で号泣でした。


「お金を貯める!」「貯金箱から出せばいい?!」「働く!」


日ごろ考えていること、世の中に対してもやもやと疑問に思っていたことの答えがここにあった気がします。この問題はお金の問題だけなのでしょうか。ここに座って目をキラキラと輝かせている子どもたちは、お金が足りないから遊園地に行けないのでしょうか。


クラウドファンディングで支援を募っておきながら逆説的ですが、私は違うと思っています。この活動を通じて、それを立証するような出来事にもたくさん出会いました。足りないのはお金ではありません。人なのです。いま日本の抱える問題の多くは「人手不足」に起因するものと言っても過言ではないのではないでしょうか。


私はその場で「い、いや、お金は良いんだよ、大人に任せてくれればね」と答えるのが精いっぱいで、そのリアクションについての問題と長らく対峙することになりました。


例えば、小学校では全国的に部活動を廃止する傾向にあります。先生方の働き方改革によるものです。学校教員の長時間労働については深刻な状況です。学校の先生が公私関係なく働き続けなければならない状況は、今に始まったことではありません。それでも近年このことがクローズアップされている理由に、少子化で親の数と子どもの数のバランスが取れていないことも大きいと私自身は個人的に思っています。


一昔前のように地域で子どもたちの面倒をみるという文化は薄れてきており、小さな家庭単位にそのすべてを担わせるようになってきました。高度経済成長期を経て長らく不況の続くこの国では、以前のように専業主婦が家庭を守ることが標準ではなくなっているのに、PTAや子ども会の活動は相変わらず、専業主婦がやるのが前提になっているような旧態依然とした内容です。まして、私の地区のようにいつでも両親と会えるわけではない子どもたちが存在する会では、地域を見守る大人の目が全く足りていません。


人口ピラミッドでは逆のはずなのに。少ない子どもたちを見守る役目を核家族単位に担わせ、地域に住む元気な高齢者ですら、将来の孤独死におびえるような世の中になっています。何かがおかしい。これらのアンバランスを解消する存在が、今の日本には必要だと感じています。一人でも多くの人にその矛盾に気づいていただき、地域のつながり、共生といった社会の在り方を考えていただくきっかけになればよいと思い、このプロジェクトを実行しています。


一般家庭の子ども達で、きょうだいや親せきと遊園地に行くのはとても当たり前のことだという感覚が私の中にはあります。また私自身は、地域の子どもたちがみんなで遊園地に行くのも当たり前だと思って育ってきました。それら当たり前の体験を、ぜひ地区の子ども達「全員に」味わってほしいと思いたったのが、今回のプロジェクトを推進する原動力です。

コメント

非公開コメント